エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

電話は「もの」か「しくみ」か

「電話」っていう言葉がさすのは「もの」か「しくみ」かというと、意外と曖昧な気がします。個人的には、どっちかというと遠隔地の話者の通話を可能にする「しくみ」という印象。「もの」として見る場合は「電話機」というのが適当かもしれない。
これが「携帯電話」になると、もう「もの」っぽい。「携帯」という言葉が「もの」という印象を与えるのかも。わたしの場合、仕事がら「もの」としての携帯電話には端末とか移動機という言葉を使ってしまいますが。
それはそれとして。


携帯電話が壊れて修理に出して、昨日ようやく戻ってきたんですが、けっして元に戻ったわけではないんですよね。登録しておいた情報も設定もすべて消えた状態で戻ってきた。バックアップしておいた情報を復元したとはいえ、以前使っていたとおりに元通りになったわけではなく。結局、メーカは「もの」を作っているだけなんだなぁ、という印象を強くしました。

結局、携帯電話というのは「しくみ」なんだと思うんです。たまたま「もの」としての携帯電話(の端末)を使ってサービスを受けているので、「もの」に価値があるように錯覚しそうになるんですが、価値があるのはサービスを提供する「しくみ」の方。だからその「しくみ」の一部を構成している設定情報が失われると、「もの」としては元に戻ったとしても「しくみ」としては元に戻っていない。


iPhoneとかAndroid端末とかが従来の携帯電話と違うのは、見た目や操作性といった部分もありますが、それより「しくみ」(=サービス)をどう提供するかを第一に考えられているからだと思います。それに気付かずに「もの」を作るだけになっているようでは、いつまでたっても国内のメーカはいまの苦境から抜け出すことはできない気がします。