エンジニアのソフトウェア的愛情

または私は如何にして心配するのを止めてプログラムを・愛する・ようになったか

携帯電話端末は、もうシンクライアントにしてしまっていいんじゃなかろうか

携帯電話の端末がまた故障しました。半年前と同じで表示がいかれました。本体側と液晶側を繋ぐフレキシブルケーブルか、そのコネクタがいかれた模様。その端末はメーカーが初めて出したディスプレイスライドタイプの端末。前回故障したときにも感じていたのだけれども、二度目となると、設計ミスがあったのはまちがいなさそう。フレキの耐久性を甘く見たんではないかと。


修理にだすだけでも憂鬱だけれども、くわえて、また端末の環境がクリアされてしまうのかと思うと本当にげんなりしてきます。
端末は修理されても携帯電話としては元に戻らないわけで。扱う情報量が増えたいま、このための対策ってメーカーにとって急務な気がします。機能面でiPhone対抗とかやってる場合じゃないヨ。


極端な話。携帯電話の端末はシンクライアントでいいんじゃないかと。コンテンツも設定もユーザ辞書とかも全部ネットの向こうにおいておいて、端末には文字通り情報にアクセスするための末端の装置という位置づけで。電波の届かないところで使うことを考えて、必要最低限の情報はキャッシュできるようにしておいて。

メーカーとしてこれをやれば「うちの端末を使っていれば、端末がかわってもそのまま同じ環境で使い続けられますよ」というサービスも考えられそう。キャリアとのしがらみとか、データセンタを用意できるのかとか、現実にはいろいろあると思うし、ユーザとしても手元にデータがないという状況を受け入れられるかとかもあると思うけど。

そうすると、音楽配信なんかも、ダウンロード販売でなくて、アクセスする権利(とキャッシュする権利)を売るような商売もできるかと。ダウンロードしたデータを紛失するリスクと配信元がなくなるリスクのどちらが高いかは、想像がつかないところですけど。


ネットワーク上にデータ(の本体側)を置いておくという環境は整ってきているわけだし、上記のように課題はいろいろあるけれど、一番の課題は、メーカーがそれを決断できるかというところな気がする。



おとといも書きましたけど、メーカーといえど、デバイスを中心に考える時代ではなくなってると思うわけで。